お仕事日録

人気者だったシーズー プリンちゃんの旅立ち

シーズーのプリンちゃんが旅立ちました。原因は長年患っていた心臓病。享年12歳でした。

 

プリンちゃんは幼い頃にご近所から貰われこちらのお家にやってきました。それ以降、優しいご夫妻とお姉様お兄様に囲まれながら満ち足りた時を重ねてきました。

 

プリンちゃんは今もこんなに美人さんですが、小さい時もコロコロとしてとっても可愛いかったみたいで、ご家族の皆からプーちゃんと呼ばれてご寵愛を一身に受けて過ごしてきました。

 

そんなプリンちゃんですが、晩年は脾臓の摘出、持病の心臓発作等、病に苦しみます。毎日が闘いの日々でした。もとより美形で、それにもまして懸命に病と闘うプリンちゃんに多くのエールが届きました。かかりつけの病院では出会う人皆に愛されました。癌が見つかって以後、転院することになった病院でもあっと言う間に人気者になりました。

 

心肥大により発作を起こすようになったプリンちゃん。前週に起こした発作で飼い主様ご夫妻は少し覚悟を持たれたようです。そしてこの1週間、ご夫妻は毎日祈るような思いでお仕事に行かれていたのです。

 

昨日、ママさんがお仕事から帰ってこられるとプリンちゃんは普段と同様、玄関までママさんのお迎えに出てきてくれました。しかしその後、ご夫妻の怖れていた不安が現実となって目の前に現れました。プリンちゃんがまたしても発作を起こしてしまうのです。突然のことにママさんはすぐさまプリンちゃんを抱きかかえ、容態の落ち着くのを待ちます。が、 残念なことにプリンちゃんはそのままママさんの腕の中、息を引き取りもう戻ることはありませんでした。

 

最期は大好きなママに抱かれて眠りたい ー その思いだけでプリンちゃんはひとり ママさんの帰りを待っていたのかもしれません。最後まで本当によく頑張ったね、プーちゃん。

 

お火葬はご自宅からお車で10分弱の公園でとり行いました。住宅街を離れた場所に位置し 四方を見渡せる自然豊かな公園です。

 

ご家族様のお車を先導する形でここにご案内させていただいたのですが、ご家族様はこのような公園があることをご存じなかったようで、人の目を気にすることもなく静かにプリンちゃんとのお別れが出来ると、この場所を気に入っていただけました。

 

お火葬が始まりました。プリンちゃんはご家族様に見守られる中、暮れゆく空へと上って行きました。

 

 

ご焼骨の後の「お骨上げ」はご自宅に戻り行いました。ご家族様は、プリンちゃんの在りし日の思い出を拾い、また拾いしてお骨壺に収めておられます。

 

「プーちゃんはこんな娘だったの」「あの時のプーちゃんは忘れられないの」こんなお話をご家族様から聞ける時、私どもは哀しみの中にもどこか嬉しくなるのです。

 

何故。おそらくそれは、愛する人が自分を思い出し今もこうして語り合ってくれていることに喜びを感じているプリンちゃんを想像するからなのだと思います。「プリンちゃんはご家族様の中で今も生きている、これから先も」そう思えることで第三者の私までもが癒されているのです。

 

もう少し言えば、自らの命は自ら尊ぶべきは当然ですが、他より尊ばれるならばそれ以上の喜びはない。人も動物もそれについては魂のレベルでは変わらない。その思いが根底にあるから嬉しく感じているのです。あなたは確かに私たちとここに生きたと認められたこと。その悦びは感情を持てるもの全てが自然に発露し得る感情なのだと思います。

 

お悲しみの中にあって不謹慎だと仰る方もおられるやもしれません。でも間違いなくあの娘は喜んでいるのです。そしてそれを一番望んでおられるのは紛れもなくご家族様であり、その意味からしてもご葬送のお手伝いをさせていただいている私自身が別の立ち位置でいることはないし、「寄り添う」という言葉の本質を考えても全く反するものではないと考えます。

 

プリンちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。